「美意識」を鍛えることの大切さ

「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?(山口周)をよんでみた。

「美意識」の切り口から経営論を分析しているが、単なる経営論だけではなく、生き方、現代日本の課題をズバッと指摘した良書だった。

 

 

「美意識」を鍛えるべき理由

「美意識」を鍛えるべき理由として、著者が挙げる理由のうち、以下のポイントは非常に腹に落ちるものだった。

 

正解のコモディティ化

著者は、「論理的・理性的」なアプローチを「美意識」に対立する概念として捉え、皆が「論理的・理性的」なアプローチを取ると、全員が同じ結論に達し、他者との差別化ができない「正解のコモディティ化」、ひいては、皆がレッドオーシャンの中で溺れてしまうと述べる。

確かに、日本では、多くの業界で似たようなサービス・商品提供して価格競争で疲弊しているうちに、海外から新しいサービスで大きくパイを取られるという現象が多い気がする。ガラケーとiphone、掃除機とダイソン、コーヒーやとスタバ、、、枚挙に暇がない。

 

不確実性の高い状況への対処

また、変化が激しく不確実性が高まった世の中になるにつれ、従来型の論理的・理性的なアプローチだと柔軟にスピーディーに判断ができず、より「真・善・美」といった美意識に基づく直観的なアプローチが求められるのだという。ちなみに、不安定・不確実性の高い状況を「VUCA=Volatility(不安定)、Uncertainity(不確実)、Complexity(複雑)、Ambiguity(曖昧)」と呼ぶらしく、米陸軍で使われ始めた言葉らしい。

 

システムの変化にルールが追い付かない

また、世の中の変化が激しい場合、法律や規則といった規範的な枠組みがない中で正しい判断を下すには、よりどころとなる価値観が必要で、それが「真・善・美」といった美意識だという。本書ではDeNAのキュレーション事件を例として挙げているが、納得できる。自分の経験からも何か「美しくない」と感じる企業はどこかで問題を抱えている。この場合、「美意識」を「倫理観」と読み替えても良いかと思う。

 

でも「サイエンス」vs 「アート」?

著者は、現状の課題を「サイエンス(理性的・合理的・論理的、遵法・規則)」偏重にあるとし、対して「アート(直観的、美的、真・善・美、倫理感)」を重視するべきという対立構造で議論を展開しているが、その構成には違和感がある。

 

むしろ、「美」vs「醜」という対立軸なのでは? 

本書の主張には概ね納得するものの、対立軸の違和感が拭えず、自分なりに考えてみた結果、以下の構図の方がしっくりくる。

  • 美しい(美意識): 多様な価値観の尊重・共感的、人間的(意見・感情の放出を許す)

   vs

  • 醜い(=美意識の欠如): 特定の価値観への拘り・押し付け・こだわり、判断の放棄、機械的(意見・感情の放出を許さない)

 

ここでいう「美」とは「芸術的な美しさ」ではなく、「多様性」「人間性」「倫理観」といった概念に近いと思う。理性重視も、直観重視も、それだけにこだわらずそれぞれを受け入れる人や文化は「美しく」、いずれかを押し付ける場合、それは「醜い」のである

本書の「美意識」という言葉がふわっとしているのでモヤモヤしたのだが、「芸術的な美しさ」や特定の価値観に基づく「美しさ」は、時代や場所、立場でも変わる存在であり、永遠で普遍的なものではないはずである。

尚、様々な価値観の変遷については、「サピエンス全史」に詳しい。

 

現代日本は合理性一辺倒だからダメなのか?

「日本軍は、空気に支配され合理的な意見形成ができなかった。その反動で、今の日本は合理性偏重になってしまった。」と指摘するが、私は、昨今の企業の不祥事などを見るに、そうだとは思えない。今もなお、誤った意思決定、慣習に異を唱えず空気に流されている現象が多々あるように見受けられる。そこには「合理性」も「美的感覚」もなく、ただ「判断の放棄」があるだけである。

また、戦前には神格化された「美的感覚」があり、指導者層には今よりも古典文学等への造詣も深く、教養水準も高かった人が多かったのではないかと思われるが、やはり当時の「美意識」の前に、異を唱えることができず、個々の判断の放棄という結果につながった。

 

もし、そこに様々な意見を議論できる環境があれば、最終的には議論の結果に従わざるを得なかったとしても、歴史は変わったかもしれない。

 

「悪とは、システムを無批判に受け入れること」

哲学者ハンナ・アーレントが、「イェルサレムのアイヒマン」の中で、旧ナチスのユダヤ人虐殺に携わったアイヒマンが最後まで、命令に従ったというエピソードを踏まえて、「悪とは、システムを無批判に受け入れること」と述べたことを、本書では引用されている。

また、「美意識の鍛え方」として、哲学を通じて「知的反逆」精神を培うことの大切さ、支配的なものの見方や考え方に対し批判的に疑いの目を差し向ける「ロックンロール」精神の大切さを説いている。

 

このことからも、前段で示した「美」vs「醜」という対立軸の方がしっくりきそうだ。

 

「美意識」を持ち「醜」を排することが大切

この「美意識」を大切にすることで、個人レベルでも、企業や国家のレベルでも良い影響が期待されるだろう

  • 個人: 多様な考え方、経験の蓄積 ⇒ 直観力、判断基準の向上 ⇒ 正しい判断、多様な生き方
  • 企業・組織: 多様な価値観・意見を許す文化 ⇒ 様々なアイデア ⇒ 不祥事の防止、ブルーオーシャン戦略

 

「美意識」の鍛え方

「美意識」の鍛え方として、著者は以下のようなものを挙げている。

  • VTS(Visual Thinking Strategy): 絵画について、議論をすることで、物事の多様な見方ができる力を培うトレーニング
  • 哲学に親しむ: 支配的なものの見方や考え方に対して、批判的に疑いの目を差し向ける「ロックンロール」精神、「知的反逆」精神を培う
  • 文学を読む: 人類の歴史のなかで、繰り返し議論されてきた「真・善・美」についての考察を物語の形で取り込む

 

個人的には、本質的な「美意識」を鍛えるには、純粋な「芸術・美術」の中だけではなく、スポーツ、友人との交流、仕事の経験、恋愛等々、多様な経験の蓄積が極めて重要であり、そのなかから、直観的な判断力、新しいアイデア、倫理観、価値観がが培われるのだと思う。

 

「美意識」が乏しい現代日本

これらを踏まえて、現代の日本を振り返ってみると、著者の主張する通り「美意識」が足りていないと感じる。

意識して多様な価値観を許容する社会にしていかないと、なかなか「美意識」を高めていくのは困難だろう。

 

依然として、いい大学→大手企業→出世を目指す というのが主流の考え方であり、そのために、我慢して混んでいる電車に乗り、人より長く働き続け、レッドオーシャンに中でもがいている。これを「美しくない」と感じることもなく、疑問に思うこともないというのはとても怖いことだと思う。

 

ただ、逆に言えば、少し異なる方向性を打ち出すだけで、一気にブルーオーシャンに飛び込めるということでもある。

 

多様な価値観、考え方を積極的に吸収していく気持ちを忘れないようにしたい。

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