学習法についてーAIや脳科学を齧って気づくこと

今は、非常に便利な・効率的な時代になってきている。

  • 徒弟制度的な技術伝承は非効率だ。要領よくコツを教えるべし
  • 調べればすぐわかるのだから、覚えなくてもいい。考える力をつけろ
  • 基礎的な作業はAIが代替できるのだから、よりクリエイティブな仕事にフォーカスすべき

全ての主張は、もっともだと思うしそうなっていくような気がしている。が、本当にそれでよいのだろうか?

なぜ、修行の世界では何故、非効率な「技を盗む」指導が続いてきたのだろうか?何かすっぽりと抜け落ちたりしているのではないだろうか?

 

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ディープラーニング(深層学習)での気づき

最近、AI・ディープラーニング(深層学習)について知れば知るほど、「学習」「判断力の育成」「クリエイティビティの育成」はそう単純な話ではないのではないかという気がしてきた。

 

AIは、多量のデータのインプットがあって初めて、そこに特徴的なパターンを認識できるようになる。

単純な分析・判断であれば、単に、特定の関数を与えてあげれば十分なのだが、より抽象度の高い、画像認識、概念の認識、自然言語の理解などは、やはり大量のデータの入力とディープラーニングでの学習があって初めて有効な回答を得られるようになる。

 

子供を育てていると、実は、人間でも同様のことをしているように感じる。

赤ちゃんは、繰り返し繰り返し、音声データ、画像データのシャワーのなかで、パターンを見出し、物体を認識し、言語を認識し、概念や言葉を学ぶ。その時、赤ちゃんは、文法や理論などの理解のためのコツは教えてもらえない。

 

脳科学の本で面白い話が合ったので紹介したい。

 

第二次世界大戦の音響監視員の訓練

“第二次世界大戦中、たえまない爆撃の脅威にさらされていたイギリス人は、襲来する飛行機を迅速かつ正確に見わける必要に迫られていた。どれが帰還してくるイギリス機で、どれが爆撃しに来るドイツ機なのか?数人の飛行機マニアが優れた「監視員」であることが判明したので、軍は躍起になって彼らの働きを利用した。このような監視員はとても貴重だったので、政府はすぐにもっと大勢の監視員を入隊させようとした──が、そういう人は希少で、なかなか見つからない。そこで政府は、監視員たちにほかの人を訓練する任務を与えた。これは厳しい試みだ。監視員たちは自分の戦略を説明しようとするのだがうまくいかない。誰にも、監視員本人たちにさえ、わからなかったのだ。──とにかく正しい答えが見えるのだ。イギリス人はほんの少し工夫して、ようやく新しい監視員をうまく訓練する方法を見つけた──試行錯誤のフィードバックだ。新人が思いきって推測し、ベテランが「イエス」か「ノー」と言う。やがて新人も指導者と同じように、不可解な説明しようのない専門技術を身につけた”

『あなたの知らない脳 意識は傍観者である (ハヤカワ文庫NF)』(デイヴィッド イーグルマン, 大田 直子 著) より、

これなどは、言語化できない知識を伝達する良い事例だとおもう。(本書には日本発のひよこの雌雄判別法の話も乗っていたので、興味あれば参照してもらいたい。)

 

こうなってくると、従前の日本型の背中をみて教える方式には、やはり相応の理由があるような気がしてきた。「弓と禅」という本に、日本の禅に興味があって、弓道を習ったドイツ人の体験がつづられているのだが興味深い示唆を与えてくれる。

 

日本での、武道の指導法

著者のヘリゲルは、日本で弓道を学んだが、その際、師範は徹底して、コツを考えず時期が来るまで待てと言ったという。

“弟子は、まるでそれ以上何も要求されていないかのように、愚直なまでの没頭を課されているようであるが、何年も経って初めて、自分が完全に使いこなせるようになった形は、もはや束縛とならず、自由になるという経験をするようになる。弟子は日に日に技術的にも苦労なくあらゆる勘に従って行えるようになっていき、また、心をこめて観ることによって、勘が働くようになれる。たとえば、筆を持つ手は、精神が形を取り始めるまさにその瞬間、頭に浮かんでくる勘に従って描いているので、結局のところ、弟子にとっては、作品は、精神か筆かどちらかが生み出したのかは分からないのである。”
『新訳 弓と禅 付・「武士道的な弓道」講演録 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫)』(オイゲン・ヘリゲル, 魚住 孝至 著) より、

「何を習得するか」についての認識が異なっているのだろう。

弟子は、技術・コツを学ぼうとした。一方、師範は弓道の真髄を伝えようとした。そして、その弓道の真髄は非言語的であり、また言語化することで誤って伝わってしまうモノだったりする。。その非言語的知識は、大量の体験(=ビッグデータの蓄積)でしか達成しえない。

 

ホリエモンと寿司職人の議論もここにヒントがあるような気がする。

 

無意識の重要性-日本的指導法の合理性

意識的に学べるものには限界があり、無意識に刷り込む作業がやはり、必要な分野があるのだと思う。

ビッグデータとまではいわないが、一見「非効率」と思われる情報・経験の蓄積を経ることでしか学習できない物事があり、そして、それは非常に重要な知識なのであろう。

 

今後の教育・学習で求められること

外国語の学習

外国語の学習では、とっかかりとして基本的な「文法」「単語」等を学ぶことは必要だが、一定水準(中学校1-2年生レベル)を経たら、あとは、とにかく、「読む」「聞く」「話す」を繰り返すことが重要だろうと思う。多く読み、聞き、話すことで、無意識に知識・経験が蓄積され、身につくようになる。

 

判断力

経験のある分野では、「虫の知らせ」がしたり、「はっきりとは説明ができないが、直感的にこちらが正しい」と判断することがある。これらは意識には上っていないものの、過去の大量の経験から異常値などを無意識に判断しているのだと思われる。

 

適格な判断力にも、地道な経験・知識の蓄積が必要になるのだと思う。

 

クリエイティビティ

クリエイティビティも、何もないところから生まれるのではなく、多様な知識の結合から生じると考える。

You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.
Steve Jobs

 

多様な知識を持っていてこそ、創造性が生まれる。そのためには、効率だけを求めず、多様な経験・知識を得られるように意識する必要があるであろう

 

まとめ

「効率性」を追求した学習法は、文法ばっかり教えて英語をマスターしたと言っている状況を導く。頭でっかちで理解したつもりになっている。そのような学習をした場合、「クリエイティビティ」や「判断力」は期待できないのではないだろうか。

 

一方で、おそらく、(ホリエモンの批判する)日本的な「徒弟制度教育」の現場の大多数では、指導者が非言語知識を極めておらず、ただ惰性で闇雲に下積みを強要するケースが多いのだろう。勝手なイメージだが、部活や旧態然とした組織の「しごき」「上下関係」「下積み」の状況はほとんどの場合、このような非言語知識を伝授できる状況になっていないと思う。

 

基本的な基礎知識は効率よく学びつつも、きちんとした指導者に師事して経験を積んでいくのが重要なのだろう。

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