書評「私の財産告白」(本多静六)

本多静六は、明治から昭和にかけて林業・造園分野で活躍した大学教授なのだが、その堅実な貯蓄・運用法で大きな財産を築いた人物であり、本書は、その蓄財術や仕事術を述べた本である。

本書が執筆されたのは、戦後間もない1950年頃であり、実際本多氏が蓄財・運用を行っていたのは戦前なのではあるが、その内容は極めてまっとうであり、納得がいくものだった。本書のなかで、感銘を受けた点や、心に刻んておきたい点を挙げる

 

勤倹貯蓄のススメ

本多氏の蓄財術の最初のポイントは、貯金とアルバイトで、運用の雪だるまの芯を作りなさいということ。

 

本多式「四分の一貯蓄法」

内容は非常にシンプル。毎月の収入の1/4を貯金しなさいということ。

「財産を作ることの根幹は勤倹貯蓄だ」とも述べており、この貯蓄でまずは、運用原資を貯めなさいと諭している。

あらゆる通常収入はそれが入ったとき、天引き四分の一を貯金してしまう。さらに臨時収入は全部貯金して、通常収入増加のもとに繰り込む

 

私も昔から月収の1/4程度を貯金するようにしてきており、絶大な効果を感じる。実践するには、天引きのよう自動的にどこかにプールされ、見えないようになるのが良いと思う。銀行では「定額積み立て貯金」のようなサービスがあるので、貯金日を給料日に設定して活用するのが良いと思います。

 

アルバイトの継続

アルバイトや副業は、本業があるとなかなかやりにくいかもしれないが、本多氏は「一日に一頁」の文章執筆を行うことを決め、継続したという。それが、最終的には370冊の書籍を発行するまでになったのだという。

一日に一頁分(三十二字詰十四行)以上の文章、それも著述現行として印刷価値のあるものを毎日必ず書きづける。

 

そして、頑張って働く

何としても積極的に、人並み以上の大活動を覚悟しなければならぬ。頭も体も人一倍に働かさねばならぬ。しかも、暮らし向きは消極的に、人並み以上にできるだけつめてかからなければならぬ

 

 

堅実な「投資」のススメ

「投機」ではなく「投資」

個人投資家の投資行動などを見ていると、投資・運用と、投機を混同しているように見受けられる場合が多い。昔から変わらないのだろう。

断じて「投機」ではない。「思惑」ではいかん。あくまでも堅実な「投資」でなければならぬ。

また「一時的流行物に対する投資の危険」を避けるように説いている。短期的に上がりそう、流行っているから、といった理由で安易に投資してはいけないと戒めている。いまなら、さしずめ流行りの暗号通貨関連かもしれない。

 

一方で、リスクは取らないとリターンを得られないので、以下のようにも述べている

投資の第一条件は安全確実である。しかしながら、絶対安全をのみ期していては、いかなる投資にも手も足も出ない。だから、絶対安全から比較的安全、というところまで歩み寄らなければならぬ。そうして、その歩み寄りの距離だけを、細心の注意と、機敏な実行で埋め合わさなければならぬ。

 

分散投資のススメ

ポートフォリオ理論でも最初にお勉強することではあるが、分散投資を勧めている

有利有望と思っていても、一つの事業に入れあげてしまっては危険である。常に正しい判断のもとに、行く口にも分けて投資し、いわゆる危険の分散を行っておくのが賢い行き方である。

投資と経営とはちがうのだから、投資家が一業にしばりつけられ、一局部にのみ目を奪われることは、大損のやりかたである。できるだけ一業に深入りせず、常に多方面に目を配って、ムリにわたらぬ限り多方面に投資しなければならぬ。

 

「二割利食い、十割益半分手放し」

正直、この2割で利食う投資と、十割益まで持ち続ける投資の区別がよくわからなかったのだが、こんなことだろうか。

短期的なリターンを狙う場合

2割上がったら、きっぱり利食いして銀行預金に戻すのが良い。それだけでも、銀行のリターンよりはるかに高いので十分満足できるはず。

長期的な運用を行う場合

2倍以上に上がったら、半分を売って、元本を確保する。そうすると、決して損をしない投資ができる。

 

タイミングの見極めの大切さ

何事にも「時節を待つ」ことが大切であると繰り返し説いている。景気循環のタイミングを見極めて、安いときに投資をし、高いときには貯金に励むのが良いのだろう。

好景気時代には勤倹貯蓄を、不景気時代には思い切った投資を、時期を逸せず巧みに繰り返す。

 

戒めとしての言葉

貧すれば鈍する

人は貧乏すると、ただに自分自身が苦しいのみならず、義理をかき、人情をかき、したがってまた恥をかく。俗にいう「三カク」となってくる。

 

「儲け口」と助平根性

「儲け口」の持ち込みというのは、たいていウマいことずくめであるが、このうまいことずくめというのがそもそもの曲者である。

馬鹿に儲かる仕事は、また馬鹿に損する仕事でもある。馬鹿に儲かって、そして決して損をしない事業なんて、常識から考えても全くあり得ないことである。そうそう他人を説き歩くものではない。かりにそういう儲け口があるとしても、自分一人で大儲けしようなどと欲張って、身分不相応な大口出資を引き受けてはならない。本当にウマい仕事なら、すすんで他人にも一口分けてやるべき

 

 

子孫を幸福にする法

子供の幸福に、「健康も大切、教育も大切、しかし財産は全く不要」と述べている。

子供に何不自由なく育てるのではなく、自分で努力して勝ち取るプロセスをきちんと用意してあげるのが必要なのだなと感じます。

もっともっと大切なのは、一生涯絶えざる、精進向上の気魄、努力奮闘の精神であって、これをその生活習慣の安価に十分染み込ませることである。

子孫は子孫をして、おのれの欲するまま、自由に奔放に活動し、努力せしめるほうがどれだけいいかわからぬ。そうであるから、子孫を本当に幸福ならしめるには、その子孫を努力しやすいように教育し、早くから努力の習慣を与え、かつできるだけ努力の必要な境遇に立たしめることである

 

名誉について

元来、名利は与えられるべきもので、求むべきものではない。自ら求めて得た名利は、やがてこれを失わざらんことに救急としなければならず、しかも、それは瓶中の花のごとく、いつかはしおれてしまう。

何事も「渠成って水自ずから至る」ものである。

 

事業について

これは、なかなか悩ましいですね。言わんとすることはわかるのですが。

確かに儲からなければダメなのですが、少なくとも自分にとって有意義に感じられなければ、儲かるからといっても遣り甲斐を感じない気もしてしまい、これは、わがままな考え方なのかな。

事業というものは、儲かるものでなければ成り立たない。儲からなくてただ有意義だというのでは、結局長続きしないで、せっかくの有意義が有意義でなくなる。儲かる上に有意義ならなおさら結構だが、まずは、事業はもうかることが先決問題だ。しかしこの儲けを一人占めにしようなどと企てては結局失敗である。儲けるのはみんなで儲けなければならぬ。またみんなで儲かるようなものでなければ、いい事業、いい会社にはならない。

 

仕事論

一時的な気遣いのためなどで、遠慮せず、実力に合った地位や権限を要求するようにすべきとのこと。

いかなる場合、いかなる職務でも、自分自身にその実力さえあれば、与えられた当然の地位は敢然と引き受けるべし。

 

また、経済的自由が、結果として仕事の意欲の向上につながるということも説いている。これも、尤もだと思う。

経済的な自立が強固になるにつれて、勤務の方にもますます励みがつき、学問と教育の職業を道楽化して、いよいよ面白く、人一倍に働いたものである。

 

人生即努力、努力即幸福

エジソンも同じようなことを言っていますね。

職業を道楽化する方法はただ一つ、勉強に存する。努力また努力のほかはない。

 

「天才マイナス努力」には、「凡才プラス努力」のほうが必ず勝てる。

 

確かに、ひたむきに極めた人は、仕事が楽しそうですよね。僕も頑張ろう。

平凡人はいついかなる場合も本業第一たるべきこと。本業専一たるべきこと。一つのことに全力を集中して押しすすむべきこと。これが、平凡人にして、非凡人にも負けず、天才にも負けず、それらに伍してよく成功を勝ちうる唯一の道である。しかも職業上の成功こそは、他のいかなる成功にもまして、働くその人自身にも、またその周囲の人々にも人生の最大幸福をもたらすものである。

 

本多静六

1866年、埼玉県生まれ。苦学の末、1884年に東京山林学校に入学。一度は落第するも猛勉強して首席で卒業。その後、ドイツ留学。1892年、東京農科大学の助教授となる。1900年には教授に昇任し、研究生活のかたわら植林・造園・産業振興など多方面で活躍するだけでなく、独自の蓄財投資法と生活哲学を実践して莫大な財産を築く。1927年の定年退官を期に、全財産を匿名で寄付。その後も「人生即努力、努力即幸福」のモットーのもと、戦中戦後を通じて働学併進の簡素生活を続け、370冊余りの著作を残した。1952年、85歳で逝去。

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